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相撲は文化かスポーツか、という問題を、日本相撲協会が土俵に女性が上がることを拒絶している点から浮き彫りにする。2000年に女性初の横綱審議委員に就任した著者が、宗教的儀式としての相撲の歴史を追究し、文化論争を抜きにした男女共同参画に疑問を呈する。
一方で、土俵への女子禁制を貫きながら、「クールビズ」などのカジュアルな服装の男性を土俵に上げた相撲協会を批判。その姿勢に対して一貫性の欠如を指摘している。外国人力士が活躍する角界に対し、日本人がどのように向き合っていくべきかを、原点に立ち戻って考えさせてくれる。併せて、グローバリゼーションや男女平等という尺度を、すべての事象に当てはめようとすることへの警鐘を鳴らす。
想像した以上に面白かった。本のタイトルから邪推すると、なんとなくフェミニズム的な内容なのかと思っていた。しかし、そうではなかった。相撲を真面目に論じており、とても好感をもって読んだ。
冒頭に結論を述べて、それを各章で展開するという王道的な論理展開で読みやすかった。
筆者の主張は2つあると受け取った。
1つ目は「女は土俵にあがる必要は無い。なぜなら、土俵は神聖な場所だからだ。神聖な場所に女は入る必要はない。」
2つ目は「土俵に女をあがるかどうかを決めるのは、当事者である。だから、外野がとやかく言うことではない。」
1つ目の主張について、古くからある女性不浄観なども提示されて、とても興味深かった。現代に住む自分にとっては、女性は不浄なものという感覚は無いのだけど、そのような観方は自分達が子供の頃まであったようだ。
2つ目の主張は相撲というビジネスをどのように国技にまで発展させていったかを詳しく述べている。神事的な意味を後付でつけてきた相撲を丁寧に解説しているところを見ると、筆者は書いていないのだけど、遅かれ早かれ土俵にあがる日が来るのかもしれないと思った。
そういえば、最近相撲は観ないし、「土俵にあがるのか、あがらないのか」って、どうでもいいことだと思っていた。けど、こうやって解説されると、相撲を観ようという気になる。
背景にある、ジェンダーフリーや男女共同参画といったものと、昔から日本にあるものをどのように折り合っていくのかを考えさせられる。
星4つ。