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以前読んだ「風に舞いあがるビニールシート」の表題作「風に舞いあがるビニールシート」から。
主人公の女性である里佳は、海外協力隊のような仕事をしている。戦争の真っ只中で業務を遂行する同僚のエドと結婚をした。夜、エドは寝ている時にいつもうなされている。
いっそのこと、そんな危険な仕事をやめて自分と安定した生活をして欲しいとの思いが募りに募っていた里佳が、エドに言葉を発するシーン。
最近、どこかでこの文章を目にすることがあった。改めて読むと、男女の想いというか、考え方の違いとかを感じた。
メモ的に記述。
下の引用を読んで、「面白そう」と感じたら読んでみて。直木賞を受賞しているので、話の種になるかもしれない。
引用ここから--------------------
「あなたは怖いもの知らずの勇者でありたい。いつでもすべてを投げだしてフィールドへ飛んでいける身分でいたい。だから妻だとか家庭だとか子供だとか、そんなお荷物はまっぴらごめんなのよ。あなたが守らなきゃならないものも、あなたを守ろうとするものも」
「聞いてくれ、里佳。たしかにそれもあるかもしれない。でも、それだけじゃないんだ」
「ほかになにが?」
「ビニールシートが……」
「え?」
「風に舞いあがるビニールシートがあとを絶たないんだ」
夜、うなされたときのあの悲痛な声をエドがしぼりだすものだから、里佳は一瞬、本気で彼がどうにかなってしまったのかと思い、ぞっとした。が、しかしエドはよどみのない冴えた瞳でカルバドスのグラスを見つめている。このぼんやりとした温泉地の煤けたホテルの薄暗いバーの中で、誰よりも冴えた目をしている。
「もう君は聞き飽きたと思うけど、僕はいろんな国の難民キャンプで、ビニールシートみたいに軽々と吹きとばされていくものたちを見てきたんだ。人の命も、尊厳も、ささやかな幸福も、ビニールシートみたいに簡単に舞いあがり、もみくしゃになって飛ばされていくところを、さ。暴力的な風が吹いたとき、真っ先に飛ばされるのは弱い立場の人たちだ。老人や女性や子供、それに生まれて間もない赤ん坊たちだ。誰かが手をさしのべて助けなければならない。どれだけ手があっても足りないほどなんだ。だから僕は思うんだよ、自分の子供を育てる時間や労力があるのなら、すでに生まれた彼らのためにそれを捧げるべきだって。それが、富める者ばかりがますます富んでいくこの世界のシステムに加担してる僕らの責任だって」
「責任?」
「もしくは、贖罪」
「………」
里佳はウエイターにもらったぺリエで口を湿らせ、これ以上ないほどに深々と吐息した。
ほかになにができるだろう?
「ねえエド、あなたには私が血縁だとか、遺伝だとか、DNAだとかにこだわるエゴイストに見えるかもしれない。実際にそうよね。でも、なんと思われても私、あなたの子供が欲しいのよ。この世界にたった一人しかいないあなたの子供が……。これからも二人でUNHCRの仕事にできるかぎりの力をそそぎながら、一方で私たちの子供を育てることはできないのかしら」
「地球にはもう十分すぎるほどの人間がいるんだよ。十分すぎてとても救いきれないほどの命がひしめいていて、さらに増えつづける。空を真っ黒に塗りつぶすほどのビニールシートがつねに舞っているんだ」
「じゃあ、私たちのビニールシートは? 誰が支えてくれるの?」
里佳はついに叫んだ。抑えきれなかった。
「私たち夫婦のささやかな幸せだって、吹けば飛ぶようなものなんじゃないの? あなたがフィールドにいるあいだ、私はひとりでそれに必死でしがみついているのよ。あなたはなにをしてくれたの?」
これを言ったらおしまいと胸に押しこめていた一言――。
エドの答えは、その「おしまい」をより完全にしてくれるものだった。
「仮に飛ばされたって日本にいるかぎり、君は必ず安全などこかに着地できるよ。どんな風も君の命までは奪わない。生まれ育った家を焼かれて帰る場所を失うことも、目の前で家族を殺されることもない。好きなものを腹いっぱい食べて、温かいベッドで眠ることができる。それを、フィールドでは幸せと呼ぶんだ」
------------------------------引用ここまで
文藝春秋 (2006/05)
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ひろいひろいせかい